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新潟地方裁判所 昭和32年(わ)215号 判決 1960年8月09日

被告人

北沢勝 外三名

主文

被告人四名は、いずれも無罪。

理由

第一、公訴事実

本件起訴状および訴因罰条の変更申請書によれば、本件公訴事実の要旨は、

被告人北沢勝は国鉄労働組合(以下国鉄労組と略称する。)新潟地方本部(以下新潟地本と略称する。)青年部長、被告人田沢重助は同地本西吉田支部執行委員長、被告人佐藤調治は同支部東三条施設分会副執行委員長、被告人遠藤昭は同分会書記長であり、昭和三十二年七月十日以降国鉄労組の行つた所謂処分反対斗争に際し、いずれも右東三条施設分会の斗争指導に当つていたものであるが、被告人北沢、同田沢は、国鉄弥彦線東三条駅から北三条駅を経て燕駅に至る間の三条市内所在の踏切七ケ所に勤務中の同分会所属組合員である踏切警手等を、所属上司の許可なくして執務場所を離れてはならない職務上の義務に違背して職場から離脱させ、旅客ならびに公衆に危害を醸す虞ある所為をさせようと考え、同月十五日午前八時四十五分頃被告人田沢は、新潟県西蒲原郡吉田町所在前記西吉田支部事務所から北三条駅構内にいた被告人佐藤に対し、電話で、「東三条施設分会所属の踏切警手も午前八時三十分から北三条駅で行われている同十時三十分までの職場大会に参加させよ。」と指令を発し、被告人北沢は、東三条駅構内において被告人遠藤に対し、「右指令が発せられているから、自己の指導に従いこれを実施すべき」旨慫慂し、被告人佐藤、同遠藤もこれに応じ、右指令に従い同日午前九時四十分から前記分会所属の踏切警手等を前記義務に違背して職場から離脱させ、旅客ならびに公衆に危害を醸す虞ある所為をさせようと考え、ここに被告人四名共謀の上、被告人遠藤は、同日午前九時二十分頃東三条駅構内から電話で右七踏切中の旭町踏切で勤務していた踏切警手堀正一に対し、「支部の指令により踏切警手も北三条駅の職場大会に入ることになつたから、九時四十分になつたら職場を離れてこれに参加せよ。」「他の六名の踏切警手にも同様電話で伝えてもらいたい。」と指令し、その頃、右堀を介して前記七踏切中の下田島、田島、第一県道、居島、泉薬寺、瑞雲橋等六ケ所の踏切に勤務していた中沢幸吉、城丸清、野口ノリ、神田末三郎、大橋忠夫、佐藤正一等六名の踏切警手にも電話で右同様指令し、さらに、同日午前九時四十分頃より同九時五十分頃までの間、被告人北沢、同遠藤の両名で下田島踏切を、被告人北沢、同遠藤、同佐藤の三名で田島、第一県道、旭町、居島の各踏切を順次訪れて、それぞれ勤務中の右踏切警手等に対し、直ちにその踏切を離れるよう慫慂し、以て被告人遠藤、同北沢、同佐藤等の前記電話ならびに右慫慂により堀等七名の踏切警手をしてそれぞれ前記義務に違背してその職場を離脱し、旅客ならびに公衆に危害を醸す虞ある所為をするよう決意させ、よつて、第二一三列車および第二一四列車が前記各踏切を通過すべき時間に当る同日午前九時四十分頃より同十時五十分頃までの間

一、下田島踏切に勤務していた踏切警手中沢幸吉を

二、田島踏切において勤務していた同城丸清を

三、第一県道踏切において勤務していた同野口ノリを

四、旭町踏切において勤務していた同堀正一を

五、居島踏切において勤務していた同神田末三郎を

六、泉薬寺踏切において勤務していた同大橋忠夫を

七、瑞雲橋踏切において勤務していた同佐藤正一を

それぞれ前記義務に違背してその職場から離脱させ、右両列車の旅客ならびにその頃右各踏切を通行しようとした公衆に対し危害を醸すの虞ある所為をなすに至らしめたものである。

というにある。

第二、公訴棄却の申立に対する判断

弁護人は、本件公訴事実は被告人四名が共謀の上東三条施設分会所属組合員である中沢幸吉ほか六名の踏切警手に対し、鉄道営業法第二十五条違反の所為を教唆したというのであるが、共謀共同教唆の訴因を明らかにするには、教唆行為ならびに正犯の実行行為のほか、共謀の日時、場所を明らかにしなければならないところ、本件起訴状および訴因罰条の変更申請書のいずれにも共謀の日時、場所が明らかにされていない、よつて公訴提起の手続は法規に違反して無効なものであるから本件公訴は棄却すべきであると主張する。ところで、刑事訴訟法第二百五十六条第三項は訴因明示の方法として、できる限り日時、場所、方法等を記載すべきことを定めているが、これらの事項の記載を要求する理由は、かかる手段方法により罪となるべき事実を具体的に特定しようとするにある。従つて、罪となるべき事実が特定される限り、日時、場所、方法等の一部の記載を欠いたからといつて、これを以て、直ちに公訴提起が無効となるものではない。共謀共同教唆の訴因としては、共謀のあつたことを明らかにした上、これに基づく教唆行為ならびに正犯の実行行為を具体的に記載すればすなわち特定し、所論のように共謀の日時、場所を明示しなければ他の訴因と分別特定し得ないものではない。そして、本件起訴状および訴因罰条の変更申請書によれば、被告人四名の共謀共同教唆であることを明らかにした上、これに基づく被告人遠藤、同北沢、同佐藤等の教唆行為ならびに中沢幸吉ほか六名の踏切警手の実行行為が具体的に記載されているのであるから、共謀の日時、場所を明示していなくても訴因の明示方法に違法があるということはできない。よつて、弁護人の右主張は採用しない。

第三、構成要件該当の有無

一、(本件斗争に至る経緯並びに踏切警手の職場離脱)

被告人北沢の昭和三十二年七月二十七日付(三通)、被告人田沢の同日付(二通)、同月二十八日付、被告人佐藤の同月二十五日付、同月二十六日付、被告人遠藤の同月二十五日付(二通)、同月二十六日付(二通)各司法警察員に対する供述調書(以上はいずれも当該被告人の関係においてのみ証拠とする。)、被告人北沢、同田沢、同佐藤、同遠藤の当公判廷における各供述ならびに供述記載、被告人北沢の昭和三十二年七月二十八日付、被告人田沢の同日付、被告人佐藤の同月二十三日付、同月二十六日付、同年八月十七日付、被告人遠藤の同年七月二十六日付、同年八月十七日付各検察官に対する供述調書、第四回公判調書中証人江川洋、同近藤泰吾、第六回公判調書中証人浅賀蔵三、第七回公判調書中証人泉時次、同神谷秀吉、第九回公判調書中証人堀正一、同中沢幸吉、第十回公判調書中証人城丸清、同野口ノリ、同神田末三郎、第十一回公判調書中証人大橋忠夫、同佐藤正一、第十三回公判調書中証人牛木利雄、同相田一男の各供述記載、証人細井宗一の当公判廷における供述、「日本国有鉄道における仲裁裁定実施状況」と題する書面ならびに押収に係る列車運転状況表三通(昭和三十三年地領第三号の四ないし六)によれば、次の事実が認められる。すなわち、

国鉄労組は、昭和三十一年十一月十七日国鉄当局(以下当局と略称する。)に対し、同年十一月以降基準賃金一人平均二千円引上げ、最低保障は基準内十八才八千円とせよ等の要求事項を提出したが、当局よりこれを拒絶されたので、同年十二月二十七日公共企業体等労働委員会に対し、右紛争について調停の申請をしたところ、昭和三十二年三月九日同労働委員会より調停案が提示された。組合側は翌十日これを受諾したが、当局側は暫くその諾否の回答を留保した後、同月十五日に至りこれを拒絶するとともに、同日前記労働委員会に対して仲裁の申請をした。国鉄労組は、この間前記要求の貫徹を期し、当局に対し、右調停案の即刻受諾とその完全実施を求めて、同年二月二十一日から同年三月十二日までの間第一波から第三波まで所謂昭和三十二年春季斗争(以下春斗と略称する)を実施したところ、同年五月九日当局より右春斗において斗争を指導した国鉄労組幹部十九名に対する解雇処分のほか多数の組合員に対する停職、戒告、訓戒等の処分が行われたので、国鉄労組は当局に対し右処分の撤回を求めて、同月十一日、十二日の両日所謂春斗処分反対斗争を実施した。国鉄労組は、これより先同年四月六日前記労働委員会より仲裁裁定が提示されたので当局に対しこれが完全実施と夏季手当一ケ月分支給等も併せて要求することとし、国鉄労組中央執行委員長から所謂昭和三十二年夏季斗争の指令が出され、国鉄労組新潟地本においても右指令に基づき同年六月四日、五日の両日朝出勤時から正午までの半日職場大会を、同月十三日午前零時から午前九時四十分まで所謂三割休暇斗争を実施した。これに対し、同年七月二日当局は、春斗処分反対斗争に関係した組合員に対する処分を発表するに至つたので、国鉄労組は、右処分の撤回を求めて同月九日中央執行委員長から中部、関東両地方評議会管内の各地本に対し、同月十日、十一日の両日それぞれ二ケ所以上の職場で三時間の職場大会を開催すべき旨、特に新潟地本に対しては、その傘下各支部一ケ所ずつの職場で職場大会を開催すべき旨の指令を発したところ、同月九日当局よりさらに前記夏季斗争において新潟地本所属の組合員である中村満夫、佐藤昭二の両名に日本国有鉄道法違反の所為があつたとして右両名を解雇する旨の発表がなされるとともに、引き続き当局が右斗争に関係した国鉄労組新潟地本所属の組合員に対して処分を行うとの情報があつたので、国鉄労組では、右両名の処分の撤回の要求と、さらに新たな処分のなされることに反対するため、同月十二日中央執行委員長から新潟地本に対し、同日より当分の間その傘下各支部一ケ所ずつの職場で午前六時から午後六時までの間に一時間の職場大会、遵法斗争を実施せよ、職場大会の保安要員については、信号掛は挺子扱所ごとに一名、踏切警手は踏切ごとに一名、電話掛は交換所ごとに一名、その他は詰所ごとに一名とする旨指令したが、これより先、国鉄労組では、昭和三十一年中警察官や公安官の斗争介入が行われた場合は、当局に事前に通告して保安要員として指定したものも全員職場大会に参加させ、且つ、職場大会の規模を拡大するとの方針を決定していたので、中央執行委員長は前記十二日の指令を発するに当り、その旨附加して指令した。よつて、国鉄労組新潟地本執行委員会においては、右各指令に従い同月十日より傘下各支部において職場大会を実施したが、その頃同地本役員を所謂現地派遣地斗として各支部に派遣し、現地における斗争指導に当らせるとともに、警察官等の斗争介入が行われた場合には現地派遣地斗において現地の情勢を判断した上保安要員を職場大会に参加させるか否かを決定すべきものとした。ところが、同月十三日国鉄労組中央執行委員会において新潟地本における斗争収拾のため、中央執行委員細井宗一を同地本に派遣し、当局との交渉に当らせることとなつたので、新潟地本執行委員会は、右細井が新潟鉄道管理局長河村と交渉を開始した同月十四日朝より斗争を一時停止した。

そして、右細井は、組合側の代表者として、同月十四日午前十時頃より新潟市所在新潟鉄道管理局において、当局側の代表者たる河村局長と交渉に入り、当局側に対し、同月十日より行われた斗争(以下本件斗争と称する。)に関係した組合員に対する処分をしないこと、同月九日発表された前記中村、佐藤両名の解雇処分の発令を一年間延期すること、当局は本件斗争に関して告発をしないこと、警察官や公安官の斗争介入をさせないことを要求して交渉をしているうち翌十五日午前五時頃国鉄労組新潟地本に同地本長岡支部より電話で、同支部の役員五名が逮捕された旨の報告があつたので、新潟地本執行委員会は、中央執行委員長が同月十二日発した指令による斗争を再開することに決定し、直ちに、傘下各支部執行委員長に対しその旨指令した。

当時、被告人北沢は新潟地本青年部長で、本件斗争に際しては、同地本執行委員会の決定に基づき同月九日現地派遣地斗として同地本西吉田支部に派遣され、現地斗争指導者たる地位にあるとともに、警察官の斗争介入が行われた場合における保安要員の職場大会参加の決定権を有していたものであり、被告人田沢は右西吉田支部執行委員長として、右地本の指令に基づき同支部執行委員会を開催してその具体的斗争方法を討議し、同支部傘下の分会役員を通じて斗争の徹底を計り、本件斗争の際は、被告人北沢とともに、同支部傘下である東三条施設分会の斗争を指導する地位にあり、被告人佐藤は右分会副執行委員長として、被告人遠藤は同分会書記長として、同分会委員長高橋照雄とともに右西吉田支部を通じてなされた支部指令の具体的斗争方法を討議してその実施に当り、本件斗争の際は、被告人北沢、同田沢の指導下にあつて、同分会所属組合員の斗争を指導する地位にあつたものである。

ところで被告人北沢は、昭和三十二年七月十五日午前六時三十分頃新潟県西蒲原郡吉田町堤町所在前記西吉田支部事務所において新潟地本執行委員長から電話で、「長岡で同支部所属の桑原時男、佐藤昭二等五名の組合員が逮捕されたから、準備のできた職場から全職場で抗議職場大会を開催せよ。」との指令を受けたので、警察官の斗争介入があつたものと判断し、国鉄弥彦線東三条駅から北三条駅を経て燕駅に至る間の三条市内所在下田島、田島、第一県道、旭町、居島、泉薬寺、瑞雲橋の七ケ所の踏切に勤務中の東三条施設分会所属組合員である踏切警手をいずれもその職場から離脱させて職場大会に参加させようと決意し、その方法として、右分会の上部組織たる西吉田支部執行委員会を通じて右分会役員にその旨指令し、自己の指導の下に右役員をしてこれを実施させることとし、その頃、前記西吉田支部事務所において被告人田沢に対し新潟地本からの前記指令を伝えるとともに、同地本の指令として、「官憲の斗争介入があつたので、自分が東三条施設分会所属の弥彦線の踏切警手も職場大会に参加するよう指導するから、その旨同分会に指令せよ。なお、職場大会に参加するに当つては、事前に当局にその旨通告して安全を確認するよう伝えよ。」と申し向け、同日午前七時頃右指導のため東三条駅に向つた。被告人田沢は、被告人北沢より右の如き指令を受けるや、同被告人および前記分会役員たる被告人佐藤、同遠藤等の指導の下に前記七ケ所の踏切に勤務中の踏切警手を職場から離脱させて職場大会に参加させようと決意し、同日午前八時四十分頃前記西吉田支部事務所から三条市所在北三条駅構内新津保線区東三条線路分区北三条作業班詰所にいた被告人佐藤に対し電話で、「官憲の斗争介入があつて、踏切警手も職場大会に参加するよう指令があつたから、北沢現地派遣地斗の指導を受けて弥彦線の踏切警手も午前八時三十分から北三条で行われている職場大会に参加させよ。なお、職場大会に参加するに当つては、事前に当局に対しその旨通告せよ。」と申し向けた。被告人佐藤は、被告人田沢から右地本指令を受けるや、右指令に従い、その頃前記北三条作業班詰所で行われた職場大会に前記七ケ所の踏切に勤務中の踏切警手をも参加させようと決意し、被告人遠藤および前記高橋照雄とその具体的実施方法を協議すべく、直ちに、前記北三条作業班詰所から同市所在東三条駅構内新津保線区東三条線路分区東三条線路班詰所にいた被告人遠藤に対し電話で、被告人田沢から伝達された地本指令を伝え、その具体的実施方法につき前記高橋と協議するよう申し向けたところ、被告人遠藤より右指令が果して西吉田支部を通じてなされたものであるか否か確認するよう依頼されたので、被告人田沢に電話をして、さきの指令が同支部を通じてなされたものであることを確認し、その旨被告人遠藤に報告した。被告人遠藤は、同日午前八時四十分頃前記東三条線路班詰所において被告人佐藤より電話で、右の如く申し向けられるとともに、その頃同所に来た被告人北沢より「踏切警手も職場大会に参加させよとの指令が発せられているから、弥彦線の踏切警手も連絡のとれ次第職場大会に参加させよ。当局には踏切を離れる三十分位前に通告したらよいだろう。実際に踏切を離れるときは自分が指導する。」旨言われたので、被告人遠藤も、前記七ケ所の踏切に勤務中の踏切警手を北三条作業班詰所で行われている職場大会に参加させようと決意するに至り、同日午前八時五十分頃東三条線路分区詰所(同分区詰所は前記東三条線路班詰所と隣り合つている)において、前記七ケ所の踏切に勤務する踏切警手の指揮者である東三条線路分区長近藤泰吾に対し、「指令により踏切警手も職場大会に参加することになつた」旨通知するとともに、その頃、指令の具体的実施方法を協議するため、新津保線区に行つていた前記高橋に電話をしようとしたが、連絡がとれなかつた。そこで、被告人遠藤は、一応午前九時四十分を期して前記各踏切の踏切警手を職場から離脱させることとし、同日午前九時十分頃前記東三条線路分区詰所から新津市西善道所在新津保線区詰所にいた右各踏切警手の上司たる新津保線区長江川洋に対し、電話で、「指令により北三条で行われている職場大会に九時四十分から保線区所属の踏切警手も全員参加することになつたから、通告する。」旨申し向け、且つ、その頃、前記北三条作業班詰所の被告人佐藤に対し、電話で、「高橋委員長には連絡がとれなかつたが、九時四十分から踏切警手も職場大会に参加させることにして新津保線区長にその旨通告した。踏切警手に対しては自分の方から連絡する。」旨申し向けたところ、同被告人もこれを諒承する旨答えた。その頃、前記近藤分区長が前記東三条線路分区詰所附近において東三条線路班所属の線路工手石田豊次、同柾木昭司、同赤塚金次郎、同井浦勉の四名に対し、それぞれ下田島、田島、第一県道、旭町の各踏切に踏切警手の代務につくよう業務命令を発し、また、被告人佐藤に対し、電話で、「北三条作業班所属の線路工手宗村貞也、同小川寅吉、同山本謙次の三名に対し、それぞれ居島、泉薬寺、瑞雲橋の各踏切に踏切警手の代務につくよう業務命令を発するから、同人等に伝えてもらいたい。」旨依頼したが、東三条の石田等四名に対する業務命令については、被告人北沢、同遠藤の両名において、これを拒否することに決定し、直ちに、被告人遠藤がその旨近藤分区長に通知し、また、北三条の宗村等三名に対する業務命令についても、同人等がいずれもこれを拒否すると答えたので、被告人佐藤は、その頃、被告人遠藤を介して近藤分区長にその旨通知した。被告人北沢、同遠藤の両名は、近藤分区長に対して前記業務命令を拒否する旨通知した後、これに対し同分区長並びに当局側が如何なる措置を講ずるか確認するため、前記東三条線路分区詰所において近藤分区長の挙動を注意していたところ、同分区長が、前記江川区長に対し、電話で、「業務命令はすべて拒否された旨報告した後、同日午前九時二十五分頃北三条駅にいた同駅助役浅賀蔵三に対し、電話で、「東三条から燕駅に至る間の東三条線路分区所属の踏切警手が九時四十分から各踏切とも職場を離れるから、隣駅からの列車を受けないでもらいたい。」旨依頼したので、被告人北沢、同遠藤はこれを聞いて右依頼により前記七ケ所の踏切を通過する予定の列車は停止するものと考え、さらに、踏切警手の職場大会参加の具体的指導方法につき協議した結果、職場大会の行われている北三条駅以西の泉薬寺、瑞雲橋の両踏切の踏切警手に対しては、電話のみによつてこれを慫慂し、同駅以東の下田島、田島、第一県道、旭町、居島の五踏切の踏切警手に対しては、予め電話によつてこれを慫慂した上、さらに、被告人北沢、同遠藤、同佐藤の三名で右五ケ所の踏切を訪れて直接慫慂することとし、直ちに、被告人遠藤が前記東三条線路分区詰所から前記北三条作業班詰所にいた被告人佐藤に対し、電話で、この旨伝えるとともに、前記旭町踏切に勤務していた踏切警手堀正一に対し、電話で、「組合の指令により踏切警手も職場大会に参加することになつたから、九時四十分になつたら踏切を離れて北三条作業班詰所で行われている職場大会に参加せよ。下田島、田島、第一県道、旭町、居島の各踏切については自分達が誘いに行く。他の六名の踏切警手にも同様電話で伝えてもらいたい。」旨申し向けて職場大会参加を慫慂し、且つ、その頃右堀をして下田島踏切において勤務していた踏切警手中沢幸吉、田島踏切において勤務していた同城丸清、第一県道踏切において勤務していた同野口ノリ、居島踏切において勤務していた同神田末三郎、泉薬寺踏切ににおいて勤務していた同大橋忠夫、瑞雲橋踏切において勤務していた同佐藤正一に対しそれぞれ電話で右と同様申し向けさせて職場大会参加を慫慂した。そして、さらに、同日午前九時四十分頃から午前九時五十五分頃までの間に、被告人北沢、同遠藤の両名で下田島踏切を、被告人北沢、同遠藤、同佐藤の三名で、田島、第一県道、旭町、居島の各踏切を順次訪れて、それぞれ勤務中の前記中沢、城丸、野口、堀、神田の五名に対し、直ちに職場を離れて職場大会に参加するよう慫慂した。

そこで前記中沢幸吉は堀の電話慫慂と被告人北沢、同遠藤両名の直接の慫慂とにより、前記城丸清、野口ノリ、神田末三郎は堀の電話慫慂と被告人北沢、同遠藤、同佐藤三名の直接の慫慂とにより、前記堀正一は被告人遠藤の電話慫慂と被告人北沢、同遠藤、同佐藤三名の直接の慫慂とにより、前記大橋忠夫、佐藤正一は堀の電話慫慂により、それぞれ所属上司の許可なくして執務場所を離れてはならない職務上の義務に違背して職場から離脱することを決意し、弥彦発東三条行第二一三列車および越後長沢発弥彦行第二一四列車が前記各踏切を通過すべき時間(第二一三列車の所定時刻は燕駅発午前九時四十三分、北三条駅着午前九時四十九分三十秒、同駅発午前九時五十分三十秒、東三条駅発午前九時五十五分、第二一四列車の所定時刻は東三条駅発午前九時五十七分、北三条駅着午前十時一分、同駅発午前十時二分、燕駅着午前十時八分)に当る同日午前九時四十分頃から午前十時五十分頃までの間所属上司の許可を受けないで前記各踏切から離脱したものである。

しかして、当時、踏切警手が勤務時間中に職場大会に参加するためその執務場所を離れるについて所属上司の許可を受け得ないことは、被告人四名もこれを認識していたものである。

二、(鉄道営業法第二十五条の構成要件)

検察官は、鉄道営業法第二十五条は所謂抽象的危殆犯の規定であり、また、踏切警手が所属上司の許可を受けないで職場から離脱することは抽象的に危険な行為であるから、かかる行為をなせば、直ちに、同条の構成要件は充足されるものであると主張するので、以下同条の構成要件について考える。所謂具体的危殆犯が公共危険の発生すなわち公衆の生命身体を侵害する結果を生ずる虞ある状態を発生させることを構成要件の内容としているのに対し、抽象的危殆犯においては、公共危険の発生を構成要件の内容として特に規定していないがその構成要件の内容たる行為をすれば、常にそれだけで右危険ありとされるのであるが、ある行為が危険を発生させる行為であるか否かの判断は、当該行為のほか四囲の具体的事情を基礎にしてなされなければならないものであつて、当該行為のみからこれを判断することはできないものである。抽象的危殆犯において、構成要件として規定された行為を実行すれば、常に抽象的に危険ありとされるのは、法によつてかかる行為が危険を発生させる行為であると擬制されるからにほかならない。また、抽象的危殆犯における構成要件が四囲の具体的事情によつては危険を発生させる可能性のある行為をその内容としているところから、仮に抽象的危険ということを危険発生の可能性の意と解したとしても、危険発生の可能性はその程度に非常な差異があり、危険発生の可能性ある行為と可能性なき行為との区別は必ずしも明らかではない。従つて、抽象的危殆犯にあつては、如何なる行為が構成要件として規定されているのか法規自体から明らかでなくてはならず、単に抽象的に危険な行為或は危険発生の可能性ある行為とのみ規定し、解釈により可罰に値する行為の範囲を決定しなければならないような規定の仕方は許されないものといわなければならない。ところで鉄道営業法第二十五条は「……旅客又ハ公衆ニ危害ヲ醸ス虞アル所為アリタルトキ」と規定するので、同条が旅客又は公衆の生命、身体を保護法益とする所謂公共危険罪を規定したものであることは明らかであるれけども、右にいう「危害ヲ醸ス虞アル所為」とは、前記の如く、抽象的危険或は危険発生の可能性ある行為という意味ではなく、具体的に危険を発生させる虞れある行為をいうものと解するのが相当である。従つて、同条は、鉄道係員が職務上の義務に違背し又は義務を怠り、旅客又は公衆の生命、身体を侵害する結果を生ずる虞のある状態を発生させることにより成立する具体的危殆犯を規定したものである。もつとも、同条は具体的危殆犯の規定であるとされる刑法第百九条第二項、第百十条、第百十七条後段、第百十八条第一項、第百二十二条、第百二十五条等とその表現形式を異にするけれども、これを以て直ちに鉄道営業法第二十五条を抽象的危殆犯の規定であると解することはできない。

そこで、鉄道営業法第二十五条を右の如く解するならば、その構成要件は明確性において何ら欠けるところがないから、これが不明確であるから同法条は憲法第三十一条に違反し無効の規定であるとする弁護人の主張は採用し得ない。

三、(危険発生の存否)

そこで、さらに進んで被告人四名が前記中沢幸吉ほか六名の踏切警手を職務上の義務に違背して職場から離脱させた結果、旅客又は公衆の生命身体に危害を醸す虞ある状態が発生したか否かについて判断する。

第四回公判調書中証人江川洋、同近藤泰吾、第五回公判調書中証人二宮成彦、同青木一郎、第六回公判調書中証人浅賀蔵三、同田辺太郎、第七回公判調書中証人田中保次、同竹内康雄、第八回公判調書中証人渡辺菊蔵、第九回公判調書中証人浦沢芳彦の各供述記載、証人赤塚千恵子、同渡辺ハナ、同山本太郎、同山本正子、同佐藤ミチ、同宮島鉄治、同佐々木マサ子、同石田喜代司、同馬場徳毅智の各尋問調書、当裁判所の検証調書、司法警察員より新潟保線区長宛照会書ならびにこれに対する回答書、押収に係る運転取扱心得一冊(昭和三十三年地領第三号の三)、列車運転状況表三通(同号の四ないし六)によれば、

新津保線区長江川洋は、昭和三十二年七月十五日午前九時十分頃同保線区詰所において被告人遠藤より、電話で、踏切警手も職場大会に参加する旨の通告を受けたので、直ちに、前記東三条線路分区詰所にいた同線路分区長近藤泰吾に対し、電話で、「線路工手に対して踏切警手の代務につくよう業務命令を発せよ。」と命じたが、同日午前九時二十五分頃近藤分区長より、業務令命が拒否された旨の報告を受けた。そこで、同分区長に対し、非常措置として前記七ケ所の踏切を通過する列車を停止させる手配をとるよう命令するとともに、同日午前九時三十五分頃新潟鉄道管理局施設部総務課及び同施設部保線課事故担当課に対し、それぞれ電話で、踏切警手が職場から離脱する旨の通告を受けたこと、そのため列車停止の手配をとつたことを報告した。近藤分区長は、前記の如く同日午前九時二十五分頃江川区長より列車を停止させる手配をとるよう命ぜられたので、直ちに北三条駅にいた同駅助役浅賀蔵三に対し、電話で、隣駅から列車を受けないよう申し入れたところ、浅賀助役は、近藤分区長の右申入を承諾し、直ちに、東三条駅にいた同駅助役市川および燕駅にいた同駅助役塚本に対し、それぞれ電話で、「保線関係の踏切警手が全部職場を離れたので、連絡があるまで北三条駅に向けて列車を発車させないでもらいたい。」旨申し入れた。市川助役及び塚本助役も右申入を承諾し、その結果、第二一三列車は同日午前九時五十四分三十秒燕駅に到着したが、塚本助役の連絡により、暫く同駅に停車することとなつた。浅賀助役は、その後東三条駅に対し、右各踏切の助勤者の手配を要請したが、人員不足の故を以てこれを拒絶されたので、同日午前十時十五分頃新潟鉄道管理局において列車の運行を司る所謂運転司令に対し、電話で、事態を報告し、今後の列車運行の指示を仰いだ。

新潟鉄道管理局においては、江川区長及び浅賀助役より前記の如き報告を受けたので、同管理局長河村は、運転部列車課長二宮成彦と協議した結果、「踏切警報機又は自動遮断機が故障のため使用することができない踏切道を通過するときは、機関士は、長緩汽笛一声の合図を行いつつ、必要に応じ速度を低下して注意運転をしなければならない」旨規定した運転取扱心得(昭和二十三年八月五日日本国有鉄道総裁達示第四百十四号)第五百六十二条の四を準用し、踏切警手が離脱している踏切道を通過するときは所謂注意運転をするよう指示して、列車を運行させようと決意し、列車課運転首席青木一郎に対し、その旨の運行指令を発するよう命じた。よつて、青木は同日午前十時二十分頃北三条駅の浅賀助役に対し、電話で、「列車を注意運転により運行させよ。特に危険な箇所は誘導者の誘導により運転せよ。」と指令した。そこで、浅賀助役は燕駅の塚本助役に対し、電話で、第二一三列車は瑞雲橋踏切の手前で一旦停車し、誘導者を乗車させるよう附け加えて、右青木からの指令を伝えるとともに、北三条駅にいた同駅助役田辺太郎に右列車を誘導するよう依頼した。

浅賀助役より運行指令の伝達を受けた燕駅塚本助役は、直ちに、同駅に停車中の前記第二一三列車(二輛編成の気動車)の気動車運転手田中保次に対し、瑞雲橋より東三条駅までの前記七ケ所の踏切に勤務中の踏切警手が職場大会に参加して右各踏切は踏切警手が勤務していないから、瑞雲橋踏切の手前で停車して誘導者を乗車させ、その誘導により注意運転をして右各踏切を通過すべき旨記載した通告券を交付して同列車の発車を命じた。よつて同列車は田中運転手の運転により同日午前十時二十二分燕駅を発車し、右通告に従い瑞雲橋踏切の手前約百米の箇所で停車して同所に待機していた前記田辺助役を乗車させて進行し、午前十時三十一分三十秒北三条駅に到着し、引き続いて田辺助役を乗車させて午前十時三十二分三十秒同駅を発車し、午前十時三十九分三十秒東三条駅に到着した。この間、前記七ケ所の踏切は、いずれも踏切警手が勤務せず、右列車が各踏切道を通過した際には、居島踏切を除いては、いずれも遮断機は開放されたままとなつていたので(居島踏切は同列車が踏切道に差しかかる前に同列車の汽笛を聞いた渡辺幸治により遮断機は閉鎖された。)、誘導者たる田辺助役は瑞雲橋、泉薬寺、居島、旭町、下田島の五ケ所の踏切を通過するに当つては、同列車前部車輛前面中央の扉を開けて同所から身を乗り出し、右各踏切道を通行しようとする人又は車馬の有無ならびにその動静を注視し、安全を確認しつつ旗を振つて田中運転手に進行の合図をして誘導し、第一県道、田島の両踏切においては、いずれも踏切道の手前約十米の箇所で列車を一旦停止させ、踏切道に立つて通行人を整理した上所謂入換方式によつて列車を誘導した。一方、田中運転手は、田辺助役の誘導に従いながら自らも列車最前部左側の運転手席から右踏切附近に注意を払いつつ列車を運転し、瑞雲橋踏切、泉薬寺、居島、旭町、下田島の五ケ所の踏切を通過するに当つては、踏切道に差しかかるかなり前から汽笛を吹鳴しながらいずれも時速約十粁で通過し、第一県道、田島両踏切は前記のようにいずれも踏切道の手前約十米の箇所で一旦停止をした上時速約五粁で通過した。しかして、燕駅から東三条駅に向つて進行する場合の瑞雲橋、泉薬寺、居島、旭町、下田島の五ケ所の踏切附近の見透しは、瑞雲橋踏切においては、同踏切まで線路が直線となつているので、踏切道の見透しは極めてよく、また、同踏切で交叉する道路のうち、進行右側の道路は線路脇に踏切番舎があるほか見透しを妨げるものはなく、かなりの距離から見透すことができるが、踏切道の手前三米ないし四米の箇所に至れば右踏切番舎の裏も見透すことができる。左側道路は線路近くまで樹木が成立しているが、踏切道の手前三米ないし四米の箇所に至れば、道路の大部分を見透すことができる。泉薬寺踏切においては、同踏切まで線路は緩い曲線を描いているが、約三十米手前から踏切道を見透すことができ、右側道路は人家が立ち並んでいるが、線路より少し離れているため踏切道の手前約三米の箇所に至ればこれを見透すことができる。左側道路も人家が立つているが道路より少し離れているので、踏切道の手前約四米の箇所に至れば見透すことができる。居島踏切においては、同踏切まで線路は直線であつて踏切道の見透しは極めてよく、同踏切で交叉する道路は線路に斜めに交叉し、且つ左側道路では人家が道路より少し離れているので、左右の道路とも、踏切道の手前約三米の箇所に至れば見透すことができる。旭町踏切においては、同踏切まで線路は直線であつて踏切道の見透しは極めてよく、道路は左右とも人家が立ち並んでいるが、線路両側の人家がいずれも道路より少し離れているので踏切道の手前約三米の箇所に至れば道路を見透すことができる。下田島踏切においては、同踏切まで線路は緩い曲線を描いているが、約二十米手前から踏切道を見透すことができ、また、道路は左右とも見透しを妨げるものがない。また、以上の各踏切で交叉する道路はいずれも直線であるので、道路からの踏切道の見透しは良好である。

前記田辺助役は第二一三列車を誘導して東三条駅に到着した後、新潟鉄道管理局より同駅に派遣されていた同管理局運転考査部職員市川宅造に右列車が到着したことを報告したところ、同人より同駅に停車中の第二一四列車(四輛編成の気動車)を北三条駅まで誘導するよう命ぜられたので、右列車の気動車運転手浦沢芳彦に対し、「踏切警手が職場から離脱しているから一旦停車の上誘導する。」旨申し向けて発車を命じた。よつて、同列車は浦沢運転手の運転により田辺助役を乗車させて同日午前十時四十六分三十秒同駅を発車した。下田島、田島、第一県道の三ケ所の踏切は同列車が通過した際には、いずれも踏切警手が勤務せず、遮断機は開放されたままとなつていたので、田辺助役はいずれも踏切道の手前一米ないし二米の箇所で一旦列車を停止させ、踏切道に立つて前同様通行人を整理した後入換方式により列車を誘導し、浦沢運転手も田辺助役の右誘導に従いながら、自らも踏切道附近を注視しつつ時速約五粁で右各踏切を通過した。

右第二一四列車が第一県道踏切を通過する頃、前記堀正一、神田末三郎、大橋忠夫、佐藤正一等踏切警手は職場大会を終つて、それぞれその執務場所たる旭町、居島、泉薬寺、瑞雲橋の各踏切に復帰して勤務についたので、右列車は以後正常運転により進行した。

以上の事実が認められる。

ところで、踏切において旅客又は公衆の生命、身体に侵害が生ずるのは、踏切道を通過する列車と踏切道を通行しようとする人又は車馬との衝突、或はこれを避譲せんとしてなす列車又は車馬の急停車による衝撃ないしは他の物との衝突等の事故によるものである。従つて、踏切警手が職務上の義務に違背して職場から離脱する行為が旅客又は公衆の生命、身体を侵害する虞ある状態を発生させたといい得るためには、列車が前記の如き事故を発生させる虞のある運転方法によつて当該踏切を通過することが予測されなければならず、列車の通過しないことが明らかな場合、或は踏切警手が勤務していなくても危険を発生させる虞のないような運転方法によつて通過することが明らかな場合には、踏切警手が職場から離脱したことによつては、直ちに旅客又は公衆の生命、身体を侵害する虞ある状態を発生させたものということはできない。本件においては、前示認定の如く、被告人遠藤は踏切警手を職場から離脱させる時刻を一応午前九時四十分と予定し、それまでの間に、当局側で列車を安全に運行させるため助勤者を踏切警手が離脱する踏切に配置する等の措置を講ずるか、或は右の如き措置をとり得ない場合には、危険の発生を阻止するため列車停止の手配をとり得るよう午前九時三十分頃、踏切から離脱させようとする踏切警手の所属上司たる新津保線区長江川洋に対し踏切警手が職場から離脱する旨の通告をなし、更に、右江川区長の命令を受けた同保線区東三条線路分区長近藤泰吾が北三条駅助役に列車を停止させるよう申し入れた後に至り、はじめて、踏切警手等に対して職場離脱の慫慂をして踏切警手を職場から離脱されたものである。しかして、線路分区長より右の如き申入がなされた場合駅責任者としては、直ちに列車を安全に運行できる措置をとり得ない限り当然右申入に従い一先ず列車を停止させなければならないものであり、一方、列車運行の管理者たる鉄道管理局長も踏切警手の勤務していない踏切に列車を通過させようとするには、それに適応した安全措置を講じなければならないものである(昭和二十六年六月二十八日日本国有鉄道総裁達示第三百七号安全の確保に関する規程)。本件においても、浅賀助役は近藤分区長からの前記申入に従い、直ちに、第二一三列車以後の列車を停止させ、同助役及び江川区長はその旨新潟鉄道管理局に報告したものである。そして、その後、踏切警手が職場から離脱している間に第二一三列車は前記七ケ所の踏切全部を、第二一四列車は下田島、田島、第一県道の三ケ所の踏切を通過したが、右両列車の運行は新潟鉄道管理局長の発した運行指令に基ずいてなされたものであつて、右運行指令の根拠となつた運転取扱心得第五百六十二条の四の趣旨は、単に汽笛を吹鳴し速度を低下させて踏切を通過すれば足りるというのではなく、各踏切の具体的情況に応じて前記の如き事故発生の虞のないような運転方法により通過すべきことを命じたものであり、右規定の趣旨は気動車運転手、機関士等に周知徹底せしめられていたものと推定される。そして、第二一三列車及び第二一四列車が前記各踏切を通過した際における運転方法は、前認定の通りであつて、第二一三列車は第一県道、田島両踏切を、第二一四列車は下田島、田島、第一県道の三踏切を通過するに当り、それぞれ踏切道の手前で一旦停止し、誘導者たる田辺助役が踏切道に立つて通行人を整理した上列車を誘導し、その誘導に従い時速約五粁の低速で通過したのであるから、いずれも踏切道を通行する人又は車馬との衝突等の危険発生の虞はなかつたものと認められる。また、第二一三列車は瑞雲橋、泉薬寺、居島、旭町、下田島の五踏切を通過するに当つては、踏切道の手前で停止することなく進行したが、いずれも踏切道にさしかかるかなり前から汽笛を吹鳴して踏切道を通行しようとする人又は車馬に対し列車の近付いたことを知らせるとともに、田辺助役が列車最前部より身を乗り出して通行人の有無ならびにその動静を注視し、危急の場合はいつでも田中運転手に停車の合図をし得るよう態勢をとり、田中運転手も田辺助役の誘導に従いながらも、自ら踏切道附近を注視しつつ列車を運転し、危急の場合は直ちに停車し得るよう時速約十粁で通過し、右各踏切道の見透しも前記の如く踏切道の手前約三米ないし約五米の箇所に至れば踏切道附近の道路を見透すことができたのであるから、いずれも危険発生の虞はなかつたものである。されば、被告人等が中沢幸吉ほか六名の踏切警手を職務上の義務に違背して職場から離脱させたことは鉄道営業法第二十五条に所謂旅客又は公衆に危害を醸すの虞ある所為ありたるときに当らない。

第四、むすび

以上説示の通り本件公訴事実は、いずれもその犯罪の証明がないから刑事訴訟法第三百三十六条後段により無罪の言渡をなすべきである。

よつて、主文の通り判決する

(裁判官 中西孝 井口浩二 坂井煕一)

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